さよならスーパースター

マイケル・ジャクソン氏の訃報に少なからず驚きました。
そして、わたしが思ったのは「ああ、明日仕事行ったら問い合わせ多いんだろうな」と。
予感的中、今日どれだけの人に在庫があるかどうか聞かれたかわからない。
(昨日ニュースが流れてすぐ、瞬く間になくなっちゃったらしい。昨日はわたし休み)
(ちいさいお店なので在庫もたかが知れてるんだけども。
ちなみにメーカーも現在品切れで追加生産中だそうです)
何度も聞かれるたびになんだかなあ、とも思ってしまった。
その気持ちもわかるんだけど、
亡くなったひとのCDが突然売れ出すっていうのがなんか解せないんです。


これはもうCDを(言ってしまえば音楽)を売って、
そのお金で生活しているんだから割り切らないと、とは思う。
ずっと付きまとうしがらみと言っていいのかもしれない。
話題に乗っかって売っていかなければならないのもわかってる。
ただでさえ財政は厳しくなっていく一方。
でも、亡くなった方と作品を偲ぶというよりゴシップの一環に思えてしまう。
いなくなった途端にそういえばいたね、みたいな感覚がちょっと、ね。
うまく言えなくて申し訳ないんですけれども…


今日来たお客様の言葉がうーんっていう感じで、もやもや。
奥さんがマイケルのファンなんだけど、視聴もできないの?
って言われたんですよね。
反射的にファンならCDぐらい持ってるんじゃないの?と思ってしまった。
全部じゃなくてもひとつやふたつ、持ってないの? と。
これはファンというものの基準が人それぞれ違うから一概には言えないけど
わたしの基準からしたら「?」だった。
ミーハーな部分に嫌気が差したのかな。自分だってミーハーなくせに。




思えばZARD坂井泉水さんが亡くなったときに
はじめて疑問に思ったことだったな、と思いだした。
あのときもベスト盤やらなんやらが売れて、
追悼盤みたいなものも出て結構売れたのを覚えてる。
亡くなった人とその音楽が商売になっていく過程を
はじめて目の前で見たからか、未だにはっきりした記憶。


つい最近のことで言えば清志郎さんのときもそう。
でも、清志郎さんに関しては彼と彼の音楽を愛してるひとがいて、
そのひとを見てたらあまりそうは感じなかった。
ひとつ残らずすべての作品にコメントをつけて、
ありがとうってありったけ伝えていたから。
CD屋で働いている人間としてできることのすべて。
仕事でとてもお世話になったひとの想いに泣きそうになった。


だからすべてがすべてそう思うわけではないけれど、
今回はまだもやもやしそう。
あー何いってんだろう。ばかだなー自分。
でもたまにはこういう真面目なのもいいかな。
吐き出したい日だってあるよ。